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カズです。
今回は靖国神社の「歴史」について
綴ってみたい。

そもそも靖国神社があんな風になったのはなぜ?
という疑問は、結構多いのではないかと思うわけでありまして・・・。

本当のところの歴史を語りだすと、
ずーっと綴っていかないといけなくなりそうなんで(笑)
かなり端折って綴っていきます。
すみませんと先に言っておきます。はい。逃げです。

靖国神社のそもそもは、
幕末に起こった戊辰戦争で犠牲になった
長州(現山口県)と薩摩(現鹿児島県)
の兵士を祀ったことから始まる。
その頃は靖国神社とは呼ばれず、
「招魂社」と呼ばれていた。

その後の明治政府が誕生し、
明治天皇の命名により「靖国神社」が設立する。

その際、靖国神社を管轄していたのは、
明治政府下の陸軍省、海軍省である。

戦争での犠牲者を祀っていると考えられている靖国神社。
しかし、戊辰戦争で朝廷に牙をむいた、
白虎隊や、西南の役の西郷隆盛(さいごうどん)は
祀れてはいない。

また、戦争による犠牲者だけを対象としていたので、
戦争中に戦死や病死していない人は祀られていない。

しかし、この祀られ方にも変化が現れる。
満州事変の前後である。
以前は、軍人(職業軍人)のみを対象とし、
その後は、軍属(軍の命令によって犠牲になった人=簡単にいうと赤紙が来た人)
の対象となった。

戦後は、その対象が大幅に拡大され、
学徒兵や、従軍看護婦なども対象となっている。
しかし、民間人までには広がっていないという事実がある。
(原爆によって亡くなった人等)

こうして考えると、
靖国神社が、戦争に利用されてきたという面も否定はできない。
しかし。戦争によって亡くなった方を祀るという考え方は否定できない。
そんな、もどかしさも感じる。

でも、ここで忘れてはならないことは、
靖国神社が悪いのではないということ。
あくまで靖国神社の存在を利用し、
戦争を正当化し、死ぬことに美学を与えていた
そんな人物なりがいたということである。
しかし、そのことに反発できなかったし、追随したという印象は
ぬぐえないだろう。
歴史を綴ってみると、
靖国神社の本質はどこにあるのか。
そういう疑問が僕自身にも出てくるのである。

こんなカズです。
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08.24 (Thu) 00:00 [ 愚考 ] CM0. TB0. TOP▲
  
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